シューベルト:さすらい(Der Wandern)、歌曲集「美しき水車小屋の娘」作品25(D795)第1曲
ー今週のテーマはシューベルトとその周辺。

【水車と風車ーシューベルトに寄せて】(2008年6月30日付の私のコラム)
中世ヨーロッパでは、動力の中心は水車や風車だった。これらは製粉が最も一般的な用途だった。
水車は領主が所有し、粉挽き職人に貸し出していた。領主は水車小屋でのみ小麦の粉引きを許し、そこで税を徴収した。そして水車は広まった。
11世紀末のイングランドには5,000を超える水車が存在し、またフランスのピカルディ地方では11世紀初期に40あった水車が12世紀末には245へと増加し、
オーブ地方では11世紀にたった14だったものが13世紀初期には200ほどに増加したと言われている。

さて作曲家シューベルトが活動していた頃、蒸気機関という近代エネルギーが時代を動かし始めていた。この移り行きの時期に、若々しい初期ロマン派の名曲
『美しき水車小屋の娘』(1823年)が生まれた。

水車小屋の若い粉引き職人が修業の旅に出る。そこである水車小屋の美しい娘に出会い恋をする。娘は若者の誠実な気持ちを受け入れる。
しかしそこに傲慢な狩人が現れ、娘は狩人になびき、若者は失恋してしまう。若者は悲しさのあまり小川に身を投じてしまった。
ここには「自然と共生する誠実な若者」に対して「自然を征服する傲慢な狩人」という対比、「田園」と「狩猟」の構図があり、
誠実な若者と田園が近代化と機械化のプロセスの中で次第に取り残されていく様が、美しい音楽の中で展開されている。

ところで同じような視点で、風車についてはドーデの『水車小屋だより』という名作がある。
ドーデは「アルルの女」を書いて有名になってから、プロバンス地方のある風車小屋の近くに住んで、南フランスの美しい自然と純情素朴な人々の生活を、
ときには悲しく、ときにはユーモラスに描きだして『風車小屋だより』としてパリに送りつづけた。蒸気機関の発明でご用済みになって放置された風車小屋に住みついたという想定で
物語は描かれ、見捨てられていく風車に愛着を断ち切れない粉挽き親方の話などをアイロニカルに描いている。

さて近代エネルギーは、水車や風車を置き去りにし、蒸気機関から始まって、化石燃料を大量に消費する方向に向かっていった。
その結果が大気中の二酸化炭素濃度の上昇と地球環境の危機となった。
そしてこの危機を克服するエネルギー戦略の1つとして、再び風車や水車などの自然エネルギーに脚光が当たり始めた。
その際、風車や水車の姿が地域の景観と調和して美しい佇まいをみせるようになることもシューベルトやドーデの想いに重なる道なのではないかと思う。

第1曲「さすらい」は、水や水車に寄せてさすらうことの喜びを歌っている。今回の演奏はギター伴奏で、歌はバリトンのGuillermo Anzorena、ギターはRaúl Funes。
オーストリアのインスブルックにあるチロル音楽院(Tiroler Landeskonservatorium)での2014年の録画。